世界を分ける道路通行の謎
自動車が発明されて一世紀以上が経過したにも関わらず、世界は未だに基本的なルールで統一されていません。約160の国と地域が右側通行を採用する一方で、約70の国と地域が左側通行を守り続けています。この分断は、自動車メーカーに二重の開発コストを強いるだけでなく、国外生産のクラシックカー所有を複雑にするなど、現代社会にまで影響を及ぼしています。
歴史に刻まれた通行側の起源
この違いの起源は、自動車が普及するはるか昔、馬車や騎士の時代にまでさかのぼります。多くの説がありますが、有力なのは「利き手と防衛」に起因するという説です。右利きが大多数を占める人類は、馬上や馬車で対面する敵に対して、利き手である右手で剣を振るうため、自然と道路の左側を移動する習慣が生まれました。これが左側通行の原型となったと考えられています。
ナポレオンと大英帝国の対立
大きな転換点は18世紀末から19世紀初頭に訪れます。フランス革命後、ナポレオン・ボナパルトは、それまで貴族が歩いていたパリの歩道の右側を民衆に開放し、右側通行を法制化しました。これは旧体制への反抗の意思表示でもありました。ナポレオンが征服した地域ではこの規則が広まり、ヨーロッパ大陸の多くの国が右側通行を採用する流れができました。一方、ナポレオンに征服されなかった英国は、伝統的な左側通行を堅持し、その影響は広大な植民地にも及びました。これが、現在でも英国、オーストラリア、日本などが左側通行を続ける歴史的背景となっています。
経済と安全をめぐる現代の議論
世界的な統一の是非については、今も議論が続いています。統一すれば自動車産業の製造コスト削減や国際運転の安全性向上が期待できます。しかし、道路標識や信号、インターチェンジなど社会インフラ全体の変更には莫大な費用と時間がかかり、現実的には極めて困難です。スウェーデンが1967年に実行した「右側通行への切り替え」は成功例として知られますが、これは国家的な大事業でした。歴史が紡いだ多様性は、単なる不便さを超え、各国の文化や歴史の一部として定着しているのです。